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| 吉澤瑛師: |
ヨシザワエイジ |
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Keyboards, Programing, Remixer, Sound producer
1964/05/16 東京都出身 A型 |
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身長173cm 体重60kg 視力不明 |
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尊敬する人物: |
僕の恋人 |
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趣味: |
部屋の掃除、クラブ遊び |
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好きなクリエイター: |
デレクジャーマン |
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好きなブランド: |
SWEAR、Johnson and Johnson、スクーデリア |
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音楽的信条: |
自由に |
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座右の銘: |
あきらめず |
| zeusrecord → |
http://www.asahi-net.or.jp/~zm3t-yszw/start.html |
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幼少の頃はエレクートーンに溺れていた。3度のメシよりも、3時のオヤツよりも、少年野球よりエレクトーンと愛欲に溺れる日々。リズムボックスのシュクポコいう音と空気を滲ませるようかのトランジスタ電子音にORGASMを感じる変態小学生であった。
レッドペッカーズという野球チームに所属するが、鍵盤のぬくもりを忘れられず、守備を放棄し練習を抜け出しては自宅にてエレクトーンと愛欲に溺れていた。
病弱だったため、学校を休む日も多かったようだが、いつしかサボることも覚える。
何のためか?それはエレクトーンだった。少しでも多くエレクトーンと時を共にしたい一心で、罪悪感にかられなが らも体温計を布団でこする朝は少なくなかったようだ。
そして、もうひとつ。東京12チャンネルで午後に放映されていたB級?洋画劇場<月ー金>にも心を奪われてしまっていた。70年代という時勢が小学生をもヒッピー化させていたことに世の大人は気づいていたのであろうか?
小学校4年頃の大晦日朝方3時ごろにTVで見てしまったピエルパウロパゾリーニ監督のデカメロン。家族みな寝ていたからこそ 出会ってしまった映画であろう。これはかなりヤバかった。
次の年の大晦日を楽しみに待つ。勿論、デカメロンをもう一度見たかっ た。この辺は小学生らしい単純な発想である。
ところが、まる一年後、再び放映されたのだ!ただ、前年と違ったことは、新年を迎える準備に夜更かしする母が台所に いたこと。しかしながら、気づかれることなく最後まで観ることができた。
本人はこのような情操教育を施してくれた70年代の大人に感謝しているようだ。
その後も色々あったようだが、ほぼこの時代にこの人間の根源となるものは創られたものと思われる。
<切なかった映画達>
穢れ無き悪戯 禁じられた遊び デカメロン エレファントマン 戦場のメリークリスマス ブリキの太鼓ザ ガーデン<ソドムの市>
1987
3DL=3デシリットル
テクノポップユニットでNECアヴェニューより作品をリリースし始める。
1990
TV CM音楽の創作活動はじめる大好きであった戸川純などのエンジニアを手がけていた寺田康彦氏とCMの仕事を通じて会うことができる。プラスティックな装いの中にも優しさを感じさせる人という印象を受けた。以後、新作ができるたびにテープを持参しては寺田氏を訪ねる。
1992
自主レーベルzeusrecordをはじめ大道芸人活動CD製作活動はじめる。都内各地で転々と路上パフォーマンスをするが、 やはり、最終的に渋谷に落ち着き、一時期は中毒状態に陥りほぼ毎晩、気づくとハチコウ、もしくは西武の前でもと3DLの小田島浩子と2人でパフォーマンスしている状態であったようだ。
1994
寺田氏の紹介で石田ショーキチ氏と出会う。気さくで優しいという印象を受ける が、サポートメンバーという立場上いくらかの距離感はあったようだ。
スパイラルライフのライブ活動を積む中,徐々に親交が深まる。スパイラル後期の頃、彼との会話の中にシンクロニシティ現象を感じはじめる。とても不思議だった。
後、スクーデリア結成後もそんな感覚を覚える瞬間は少なくないようだ。
1996
スクーデリアエレクトロ結成され参加することになる。同時に渡英する。約2年間の静かな時間をロンドンで過ごしたとか。魂の癒しとなった。
1998−現在
帰国、東京で暮らしはじめる。帰国後立て続けに2枚のSEのアルバムを創る。あっという間に時間が過ぎた。
映画「金ッの草原」(テアトル銀座にて公開中)を作り終えた後、デーモン小暮のソロプロジェクトをプロデュース。 |
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